「もうイヤだ!」と思ったらどうすべき? いまだに使える2004年の教え

振り返ってみるに、これまで味わってきた数々の「もうイヤだ」という体験は、すべて私にとって後々プラスに働いていったようだ。

結局のところ、私たちが「もうイヤだ」と感じている状況のすべては、「人生の雨季」のようなものではないだろうか。(中略)

そして、私たちは雨季がいずれ終わり、雲間からまた太陽が顔をのぞかせることも知っている。

あなたが「もうイヤだ」と感じたことも、言ってみればあなたが成長する上での良薬と思ったほうがいい。そのときはつらくても、あとから振り返れば、必要不可欠なものだったと気づくのである。

(「はじめに」より)

 

そこで重要なのは、「本当にやりたいことはなんだろうか」と考えてみること。たとえば趣味が大切なら、それを人生の中心に据えてみればいいいということです。思い当たるものがなかったとしても、街へ出かける、友だちに電話をする、本を読むなど"とりあえず行動"してみれば、やがて興味を持てるものが見つかるはず。そして仕事は、これまでよりも少し力を抜いてみる。手を抜くのではなく、力を抜いてみる。すると、意外に仕事もうまくいきはじめるかもしれないというのです。

 

しかし「自分は会社の犠牲になっている」と感じたら危ないと、著者は警鐘を鳴らします。会社の仕事に献身的に取り組む真面目な人に多いそうですが、行きすぎた犠牲的精神は、ときにその人の人生を誤らせることもあるというのです。しかしそれでは、とても人間らしく生きているとはいえないわけです。

 

働きすぎているとき

「仕事をするのがほとほとイヤになった」と感じているとしたら、その一因に"忙しすぎる"ということがありはしないかと著者は問いかけます。自分の気持ちを整理するヒマがない。悩みや迷いを聞いてもらうヒマがない。疲れたとき、ゆっくり休むヒマがない...。そんな状態では悩みや迷い、疲れはたまる一方で、吐き出すことができないわけです。

 

「忙しい」という言葉の裏にはさまざまな意味が隠されていて、「本当にこなせないような量の仕事に囲まれて忙しい」のか、それとも「ただ漫然と忙しいと思い込んでいる」のか、人によって捉え方は違うでしょう。しかし現実的には、「忙しい」と愚痴っている人ほど、どこか時間に振り回されていて、ムダな時間を過ごしていることが多いようだと著者は指摘します。

 

忙しさは果てしないもの。だから、忙しがっていると、いつまでたっても自分の時間を生み出すことができない。やがて自宅や休日にまで仕事を持ち込むようになり、精神的にも疲弊することに。なのに、その疲れや悩みを解消するゆとりもなくなってくる。このようなスパイラルに陥ると、仕事自体の能率が落ち、ますます焦って仕事に時間をとられ、袋小路に陥ってしまうというわけです。そのため、自分の時間をつくることが大切なのだと著者は記しています。

自分の時間をつくることができれば、気持ちを整理したり、気分転換をすることで、少しは気分を晴らすことができるだろう。

そして、自分の時間とは、たいていの場合、ほんとうにつくろうと思えば、なんとかつくることができるのである。

そこで、仕事が忙しくて疲れや悩みを抱えてしまったときは、自分自身に「仕事の能率を上げるために自分の時間を持とう」といい聞かせることが大切。それは、どこかで忙しさにピリオドを打つ勇気であり、それこそが「多忙をストレスにしない秘訣」なのだそうです。(47ページより)

 

努力が報われないとき

どんなに些細なことでもいいから、それを成果のひとつに加えてみれば、「期待した成果は上がらなかった。でも収穫はあった」と思えるもの。そのぶん、少しは気持ちが楽になるし、多忙さからくるストレスも軽減されるというわけです。

仕事に限らず、うれしいことは何度も大げさに喜び、脳に強烈な体験として覚え込ませるべきだということ。そして気持ちが沈むようなことについては短時間で集中して悩み、あとは忘れるようにすることが重要。悩みを引きずったことが成果につながるのならともかく、そんなことはありえないのだから、反省点を胸に刻み込むだけで十分だということです。